My essay 001 色の道
若いころ先輩から「色の道は険しい」とよく言われていました。 もちろんお堅い研究所での仕事中のことですから、そっちのほうの色ではありません。 当時は科学にとって肉眼の役割はとても重要で、 色を見極める能力に欠ける人は科学の道に進むべきではないという、学校での進路指導まであったのです。 瞬時に簡単に画素単位で光学的スペクトルを記録できる現在では、さすがにそういう指導もされなくなったと思いますが、 それでも例えば人込みの中で瞬時に人を見分ける能力などで、まだまだ機械は人間に及びません。
科学者の仕事で最も重要なのは、自分の体験や考察の中身を、 全く見ず知らずの他人が読んでも正確に理解できるように記載することです。 そのような記載を検証し、客観的に見て真実と思えるもののみを選別して記録に残す行為こそが科学なのだと言ってよいでしょう。 そのように考えると、自分が見た色をどのように記載するかということがとても重要なのですが、 これはまた大変困難な課題でもあるのです。
晴れた日の夕焼け空を思い浮かべてみてください。 赤い太陽から青い空までの綺麗なグラデーションです。 青と赤の間には無限といって良い数の中間色があるのですが、 それらの色を表現する名詞は赤、赤紫、紫、青紫、青という、たかだか五つしかないのです。
当時私達が顕微鏡下で見たものの色を書き表す方法は例えば 「わずかに青みがかった明るい灰色で、XXより青みが強く、YYよりやや暗い」といったようなものです。 ここで、XXとかYYは同じ顕微鏡下で見えるもののうち、誰でも知っている出現頻度の高いものを指します。 なぜそのような比較対象を一緒に記載しなければならないのでしょうか? その理由は、顕微鏡下で見える色がレンズを変えたり光源を変えたりするだけで、簡単に変わってしまうからです。 当然、その日の観察者の目のコンディションでも変わります。
以上のことから「高性能なCCDを用いてアナログをデジタルに変えれば色が数値化できるのでより正確になる」 というような単純な話ではないということがお解りいただけたでしょうか? 客観的に色を記載するというのはいったいどのようなことなのか、いずれ続きを書かなくてはならないと思います。
色のみちの険しさは科学の進歩で解消されるのでしょうか・・・・